
ストリート0~400メートルは、全国各地のスポットで賑わいを見せていた。
こんばんは。ヒロパパです。
今日は、タイトルのストリートゼロヨンについて書いてみようと思います。
まず初めに、ゼロヨンとは0から400mのタイムを競う競技です。
昔、ゼロヨンチャンプなるゲームがありました。(知っている人は30代以上かな?)
ゼロヨンのタイムを競うゲームだったのですが、スポーツカーが当たり前に走っていたので、まさに時代を象徴するゲームだったのではないでしょか。
さかのぼること約20年前、私の地元のある工業地帯の一角でも、それは毎週のように行われていました。
もちろん公道ですので、一般車も走っていますので、周囲には迷惑をかけるようなことはせずにみんな腕を競いあっていましたね。
私は当時高校生でしたので、まだ車の免許すらない状態でしたが、バイト先の先輩が免許をとりだしてからは、よく毎週末は繰り出していたものです。
80スープラにヴェイルサイドのフルエアロ?
EKシビックにボルトオンターボ??
GT-Rのブーストアップが400馬力???
こんな会話が日常であふれているようなガソリンスタンドでバイトしていたものですから、ゼロヨンとか見に行くのも当たり前になるのは時間の問題でした。
そして、各々こだわりの自慢の愛車がスポーツカー一色で、スープラだ、スカイラインGT-R だ、MarkⅡツアラーVだ、パルサーGTI-Rだ、ランエボだ、盛り上がってましたね~!
もちろん会場では、所狭しとスポーツカーで溢れかえっていたし、走行も自由な風潮だったので、ギャラリー専門もいればひたすら走行している人もいましたね。
そんな中に一人、異才を放つ人物がいたんですが、彼はバイト先のお客さんだったのですが、よくゼロヨンに行っているとのことで、私もよく乗せていってもらってました。
そう、忘れもしない、あの81マークⅡで。
当時はMTが当たり前なんです。ATってほとんどいないんです。
でも、彼の81マークⅡはATだったんですね。
1JZのブーストアップ、強化ATくらいしかしてない仕様なんですね。
しかも、乗り心地重視って言ってて、シートなんかはグランデというグレードのシートに変えていたんですね。
でも、速いんです・・・。
相手がGT-R だろうが、スープラだろうが、負けません。
走行前にホイールスピンでしっかりタイヤを温めて、準備運動は大事だからな!!ってよく言っていましたね。
恐らく当時はATで早い人で結構有名だったのかもしれませんね。
その流れ?で私もスターターやったりしていたら声がかかるようになったりしてましたね。
時には、遠征組が積載車にカリッカリのチューンドで乗り込んできたり、時には派手にクラッシュがあったり、おまわりさんがパトカーで散らしに来たりといろいろありましたね。
でも、いまだに忘れられない、最大の衝撃を受けたことが1つだけあります。
そう、当時ゼロヨン日本一の記録を持つ、某ショップの1000馬力級の32GT-R に同乗させてもらったことです。
よくスターターをやらせてもらってます、と、そのかたに挨拶にいったら、ここは初めてだからスターターやってもらえる?となんとまさかの同乗させていただきました。
いや~、車もフロントアップってするんですね。バイクだけかと思ってましたよ。はい。
ローからセコの時点で視界が上向きでゲートは開きっぱなしですよ。鼓膜が破けるんじゃないかってくらいの爆音でした。そして、爆発的な加速からのフルブレーキング。
もうね、吐く寸前でした。
それまでいろいろ乗せてもらっていましたので、多少は慣れたつもりでいましたが、次元が違いすぎる。
その日は気持ち悪くなってしまってスターターはお休みさせてもらいましたが、さすがにみんな見てたので何も言われませんでしたね。
それ以降、いろいろなチューンドを見てきたつもりですが、あれは越えられないですね。
そして、ある雑誌の一面にでかでかとそのGT-R が載ったんですね。いまだにその雑誌は自宅にあって、見てるだけで頭の中がタイムスリップします。
それからは、仙台ハイランドの公式ゼロヨンコースやSUGOのアルコールファニーカーのデモランなどドラッグレースに没頭しましたね~!
週末の天気が悪ければ、山にドリフト見に行ったりもしましたね。
ドリ車も乗らせてもらう機会がありましたが、いや~、吐きましたね~。
もうね、頭の中もドリフトしてたんじゃないかっていうくらいにね!
忘れたい記憶かもしれませんが、今じゃいい思い出です。
あっ、そうそう。D1が始まったのもちょうどこのころでしたね。
SUGOに見に行きましたもん。カートコースでの走りは熱かったですね~!!
まだ実家にVHSあったはず!(デッキは?)
今度帰省したら探してみようかな?