こんにちは、ヒロパパです。
ブログを書き始めて一年弱経ったのですが、ちゃんとした自己紹介してないなと思いましたので、書きます。
宮城県出身で今は千葉県にいます。
37歳になります。
最終学歴は高卒です。
家族は、息子、妻の3人家族です。
記事にも書きましたが、退職しましたので今現在、無職です。
いや、自己紹介をしっかり書こう、書こうとは思っていたんですが、ずーっと後回しにしてしまっていたんです。
では、どうぞ!
幼少期

三人兄弟の末っ子で、だ~いぶ甘やかされて育てられてきたと今なら思えるのですが、世の中の末っ子とはきっとそういうものなのでしょう。
兄には構ってもらって、親にはねだる、ねだる。
おもちゃ売り場ではダダこねる・・・。
まぁ、クソガキ一直線ですね。
我が息子には違う道を行ってほしいものです。
比較的、保育所時代や小学校時代は活発で勉強は嫌いだが、仕方なくやる。
運動は好きだが、運動音痴だから空回りするタイプ。
通信簿は5段階の評価なら3が並んでいるような感じでしたね。
元気があれば何でもできる、を見事に体現していたのではないかと。
先生や友人からは比較的、好かれていたと思います。
ある程度、意見が通っていたので。
クラスの中心的な存在とまではいかないものの、今となっては、それに憧れていたのかもしれません。
まぁ、クラスに必ず一人はいたじゃないですか、やかましいやつ。
それでしたね。
ここまでは良かったんです、特に問題もなく過ごせていたので。
いじめにも真面目に取り組みました

中学生になり、東と西の小学校の二つが一つに集まるのが私の地元の中学校でした。
新しく友達も増え、部活が本格的に始まり、私はサッカー部へ入部しました。
二年生までは特に何もなく過ごしていましたが、三年生になりそれは突然やってきました。
はい、そうです。
いじめですね。
突然、話は変わりますが、小橋健太さんというプロレスラー、知ってますか?
逆水平チョップの名手ですね。(知らない方はごめんなさい)
私のいじめはこれでした。
毎日毎日、逆水平チョップの応酬と、たまに飛んでくる北斗百裂拳が延々と繰り広げられていました。
幸い、顔面には食らわなかったのですが、私の胸板周辺はあざだらけ、というか紫色に変色してましたね。
そんなのが続くものですから、
・・・。
・・。
・。
考えますよね、色々と。
こういう時、マイナスなことを考えるのが普通だと思います。
当時の私は、それ以外は何も嫌いなことはなかったので、学校に通い続けるためにはどうすればいいか?と考えていました。
で、こう考えたのです。
【奴らの攻撃を跳ね返すほどの身体を作り上げ、攻撃を諦めさせればいいのではないか?】
と。
それから、腹筋、腕立て伏せの筋トレが始まりました。
年子の兄が野球部で、ガッツリ教えてもらいました。
何のために始めたのかは、一旦置いておきましょう。
理由など言いたくありませんでした。
いや、言えなかったというのが正しいでしょう。
サッカー部でしたが、なぜかマスコットバットを振っていました。
本来なら、リフティングの練習をしていたはずなのに。
いつの間にか、兄の筋トレグッズを拝借していました。
とてもフィジカルの優れた選手だったことでしょう。
そんなサッカーとは畑違いなトレーニング?ばかりしていたものですから、最後の大会では選手に選ばれずに中学生の部活が終わってしまいましたが、悔しいとかそんな感情は皆無でした。
そう、私の真の目的はいじめっ子たちへの反逆だけでしたから。
結果、どうなったのかって?
恐らく、学年で一番の厚い胸板を誇っていたんじゃないかと思います。
いじめっ子たちを降参?させました。
正確には、
【なんだこいつ、俺のチョップ攻撃が効かない?というかこっちの手が痛え~!!】
となり、立ち去っていきました。
学年一の剛腕のリーダー格のY君が、私のことを認めてくれました。
それから、よく遊ぶ良い友人になってくれました。
部活が終わり、放課後はよく一緒に楽しく過ごしていました。
あっ、それ以来いじめはなくなりましたので、身体の調子もよくなりました。
サッカーはサッカー部でも大したことないのに、筋トレのために黙々とバットを振り続けていたせいか、体育のソフトボールではヒットが増えたのは言うまでもありませんでしたね!
ヤンキー高校だったよね

高校は、中学生の時にクルマへの興味から整備士の資格が取れる総合学科の自動車科へ入学しました。
高校デビュー?みたいなヤンキーが多かったのですが、元々周りには昔からの筋金入りのヤンキー(暴走族とか)が多かったからか、全く影響はありませんでした。
むしろ、声をかけられて、仲良くなることのほうが多かったかもしれません。(坊主頭で、いかつく見られていたのかもしれませんね)
一年生では一目ぼれ、二年生では単車の免許の取得、ガソリンスタンドのバイトで先輩に誘われてストリートゼロヨンに目覚め、三年生では文化祭でのバンドを経験したりと、まぁまぁ濃ゆい高校生活を送れたと思っています。
卒業後は就職を選んだけどさ
専門学校へ整備士の2級を取得する大勢の仲間に別れを告げ、一人就職の道を選びました。
ここで、運命の分かれ道が。
就職した会社に、入社時には必ず整備士3級を取得していきます、と。
しかし、なんとまさかの整備士試験受からず・・・。
入社はできたのですが、まぁ視線は冷ややかなもので。
もうすでに、同期入社の人とは差をつけられていました。
当然っちゃあ当然ですので、文句はないのですが。
初の就職、実家から2時間ほどの距離間、寮生活。
単車に乗りたいがために、休みのたびに実家に帰っていましたね。
で、元アルバイト先に遊びに行けば、
(いつでも帰ってきてもいいんだよ?)
ハイ。
返事二つでした。
結果、三か月足らずでボーナスももらわずに退社しました。
出戻りでアルバイト先に帰ってきました。
それから、派遣社員や飲食、パチンコ店や車屋など、多種多様な仕事を経て今に至ります。
PC一本で稼いでいければ理想ですが、まだまだ遠いです。
まだまだ旅の途中、ガンガン頭と手を動かして邁進していくぜ!!
ご意見、ご感想、お待ちしてます!!